送別会で見えた「会社員思考」の正体

その忖度、会社の外では1円にもならない

先日、知人の定年退職に伴う送別式に出席しました。
その会社は、かつて私自身が勤めていた会社です。

今回の主役は、その会社を長年担当してくれていた代理店の社員の方でした。
長年の功績を讃え、慰労の気持ちを込めて、私の後輩たちが宴席を設けてくれたのです。
その行為自体は、とても素晴らしいことです。人の働きをねぎらい、感謝を形にする。これは社会人として大切な姿勢だと思います。

ただ、その場で私はひとつの強い違和感を覚えました。

それは、席順が会社の役職順で並べられていたことです。
主役であるご本人や、私のようなOB、来賓も少なからず出席していたにもかかわらず、空気を支配していたのは「誰が一番偉いか」という会社の序列でした。

今回の集まりは、あくまで有志による私的な会です。
会社の公式行事ではありません。
にもかかわらず、そこにまで“会社員の悪い癖”とも言える忖度が持ち込まれていたのです。

私はその光景を見ながら、少し残念な気持ちになりました。

なぜなら、会社の中で通用する論理は、会社の外ではほとんど通用しないからです。

会社にいると、役職、部署、年次、社歴といった「見えやすい肩書き」に人が従います。
しかし、ひとたび会社を離れれば、そんなものは一気に力を失います。
独立後に問われるのは、部長だったか課長だったかではありません。
「あなたは誰か」「何ができるのか」「誰にどんな価値を提供できるのか」――それだけです。

名刺の肩書きが消えた瞬間、急に会話が弱くなる人がいます。
会社の看板を外した途端に、人脈も影響力も細ってしまう人がいます。
それは、その人に価値がなかったからではありません。
会社の論理の中でしか、自分を表現してこなかったからです。

私は普段、社長会やビジネス交流会によく顔を出します。
そこでは、老若男女も、元の会社も、役職もほとんど関係ありません。
むしろ大切なのは、相手を一人の人間として敬い、リスペクトし、自分の力で信頼を築こうとする姿勢です。

そこには忖度よりも、誠実さがあります。
上下関係よりも、価値交換があります。
「この人と一緒に何ができるか」が見られる世界です。

もちろん、会社員が悪いと言いたいわけではありません。
組織の中で働くことには大きな意味がありますし、そこでしか得られない経験もあります。
私自身も長年会社に勤め、その中で多くを学ばせてもらいました。

しかし、長い人生を考えたとき、多くの人にとって「会社の外で生きる局面」は必ずやってきます。
定年後かもしれない。
早期退職後かもしれない。
副業から始まるかもしれない。
あるいは、想定外の環境変化によって、突然その時が来るかもしれません。

今の時代は、会社だけに人生を預けていれば安泰、という時代ではありません。
むしろ、会社の外でも生きていける準備をしている人のほうが、結果として会社の中でも強いのです。

だからこそ私は、会社員の方にお伝えしたいのです。
会社の論理に染まりきらないでほしい、と。
役職で人を見る癖を、少しずつ手放してほしい、と。
社外では「一個人としてどう見られるか」を意識してほしい、と。

会社を辞めてから考えるのでは遅いことがあります。
肩書きがあるうちに、自分の名前で信頼される練習を始める。
自分の経験を、自分の言葉で語れるようにする。
組織の序列ではなく、人として相手を敬う感覚を身につける。
それが、これからの時代をしなやかに生きる準備になるのです。

送別会の席で見えたのは、単なる席順の問題ではありませんでした。
そこにあったのは、「会社の中の常識を、会社の外にも持ち込んでしまう危うさ」だったのだと思います。

会社の看板は、いつか外れます。
しかし、人としての信用は残ります。
だからこそ今こそ、会社の論理を少しずつ脱ぎ捨て、自分の名前で生きる準備を始めるべきではないでしょうか。

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