「もう一度、自分を始める」という選択
このまま終わるのか、それとも・・・

最近、どうにも仕事に心が乗らない。
大きな失敗をしたわけでもない。
評価が極端に下がったわけでもない。
むしろ、周囲から見れば「安定している側」だろう。
それなのに、胸の奥にぽっかりと穴が空いたような感覚がある。
朝、満員電車に揺られながら、ふと思う。
「このまま定年まで勤め上げて、
年金をもらい、静かに余生を送る。
それが、私の人生の結論なのか?」
贅沢な悩みだ、と言われるかもしれない。
だが、心はごまかせない。
私はいったい、誰なのだろう。
何のために生まれ、何を成し遂げてきたのだろう。
会社の看板が外れたとき、
私の名前だけで、何が残るのだろう。
会社という“物語”の中で生きてきた
振り返れば、私は懸命に働いてきた。
上司の期待に応え、
部下を育て、
数字を追い、
家族を守るために責任を果たしてきた。
誇りもある。
後悔ばかりではない。
だが、その物語の主役は、本当に私だったのか。
会社という舞台の上で、
私は与えられた役を演じてきただけではないか。
肩書きがあったからこそ、
影響力があった。
組織があったからこそ、
成果が出た。
では、その舞台がなくなったとき、
私は何者なのか。
それを考えた瞬間、
胸の奥に冷たい風が吹く。
「安定」という名の静かな終着駅
定年まで勤め上げる。
それは立派なことだ。
だが、私はそれを「ゴール」として受け入れていいのか。
安定は、安心を与えてくれる。
だが同時に、挑戦を奪う。
いつしか私は、
波風を立てないことを最優先にし、
新しい提案を飲み込み、
無難な選択を繰り返していないだろうか。
心のどこかで、
「もう若くないから」
「今さら無理だ」
そんな言い訳を積み重ねていないか。
だが、本当はわかっている。
それは“年齢”の問題ではない。
“覚悟”の問題だ。
私には、残すべきものがある
私はゼロからここまで来たわけではない。
失敗も、成功も、
修羅場も、歓喜も、
何十年分もの経験がある。
あのときの判断。
あの会議での一言。
あのプロジェクトの立て直し。
若い頃の私は、何も知らなかった。
だからこそ、今の私は価値がある。
この知恵を、
ただ自分の中で腐らせて終わらせていいのか。
誰かの迷いを、
ほんの少し照らすことはできないか。
若い世代に、
転ばずに済む道を示すことはできないか。
私は、まだ終わっていない。
「始める」のに、遅すぎることはない
新しい一歩は、
必ずしも派手である必要はない。
会社を辞めることだけが挑戦ではない。
大きな資金を投じることだけが起業ではない。
まずは、自分の棚卸しをすること。
何を経験してきたのか。
何ができるのか。
何を伝えたいのか。
小さな発信から始めてもいい。
後輩に本気で向き合うことからでもいい。
副業という形でもいい。
重要なのは、「動く」ことだ。
考え続けるだけでは、
人生は変わらない。
ほんの一歩でいい。
だが、その一歩は、
自分の意志で踏み出す一歩でなければならない。
私は、まだ物語の途中だ
定年は終点ではない。
通過点だ。
これまでの人生が“前半戦”だったとしたら、
これからは“本当の自分”で生きる後半戦だ。
私はもう、誰かの期待だけで生きる必要はない。
肩書きに縛られる必要もない。
私は、私として生きていい。
もし、むなしさを感じているのなら、
それは終わりのサインではない。
“目覚め”のサインだ。
心が問いかけているのだ。
「本当に、このままでいいのか?」と。
その問いから逃げるな。
怖いのは、挑戦することではない。
何もせず、心を眠らせたまま年を重ねることだ。
私は、まだできる。
私は、まだ必要とされる。
私は、まだ何かを成し遂げられる。
だから今日、決めよう。
小さくてもいい。
新しい一歩を踏み出す。
自分の経験を、
知恵を、
情熱を、
次の世代へと手渡すために。
この人生を、
「まあまあだった」で終わらせないために。
私は、もう一度、自分を始める。

